Gak Yamada 山田 学
生命 宇宙の華
Presented by Ruinart
Ruinart Japan Award 2022 Winner
山田学はKYOTOGRAPHIEインターナショナルポートフォリオレビューの参加者から選ばれる「Ruinart Japan Award 2022」を受賞。世界最古のシャンパーニュメゾンであるルイナールのアート・レジデンシー・プログラムに参加するため、2022年の秋に渡仏、収穫期にシャンパーニュ地方のランスを訪れます。ルイナールの葡萄畑で収穫した葡萄の実や葉、畑にあった石、京都から持参した金箔や、土中や海中でもバクテリアによって生分解されるセロファンなどを撮影し、現地で滞在制作しました。
とりわけ滞在中に山田にインスピレーションを授けたのは、中世の白亜(石灰岩)の石切場を再利用し、38メートル上にある穴から地上の光が差す神秘的な構造のルイナールのシャンパーニュの地下貯蔵庫「クレイエル」でした。
太古の微生物の死骸が堆積し生成された石灰岩が、貯蔵庫の一定の温度と適度な湿度を保つことで、葡萄からできたシャンパーニュを熟成させるという現象に、生命の循環を感じたと山田は語ります。そしてビックバンにより宇宙が始まり、星が生まれ、生命が生まれるという、生命と宇宙の起源に思いを馳せ、本作「生命 宇宙の華」が生まれました。山田の作品が捉える生命のきらめきは、この世界が内包する刹那の美しさと、すべての生きとし生けるものの存在を讃えるかのようです。本展では写真作品に加え、シャンパーニュの泡立つ響きやクレイエルで採取したサウンドを交えた、映像によるインスタレーションを展示します。
バーチャルツアー
アーティスト
Gak Yamada 山田 学
Special Interview|山田 学
2023年02月4 日
(インタビュー:鮫島さやか 構成:谷村無生)
カメラが導く、剥き出しのものとぶつかる旅
──はじめに写真との出会いについてお聞きかせください。大学時代に写真と出会って、世界各国を旅されていたのですよね。
大学1年生のころ、最初は写真ではなく文章を書いていたのですが、なかなか面白いものができませんでした。心理描写をしていたのですが、あまりにも自分の中に閉じこもっている感じがしたので外の世界に意識が向きはじめ、なおかつビジュアルの表現に興味もあったので、これは写真かなと思い撮り始めました。
カメラを持ってインドやアフリカの島など、海外へ行くようになったのも、写真が撮りたいというよりも、生々しいものを見たいという気持ちからでした。当時の僕は、社会や生活の中で、生きている感覚をもたらすような生々しい体験が薄れていっているように感じていました。高校時代に生きるとはなにか、について強く考えるようになったことをきっかけに、淡々と繰り返される生活の中で、生きている感覚が希薄だなと感じたんです。そこから、迫り来る実感を持った表現や形あるものに触れる深い体験がしたいと思い、音楽を聴いたり、小説を読んだり、映画を観たりしました。でももっと日々の生活の場でそれを感じたい、なにか剥き出しものにぶち当たりたいと思ったんです。そういう気持ちでカメラを持っていました。
カメラを持っていると、普段なら遠くから見て通り過ぎることでも、面白いと思ったら目の前まで行って、撮ってやろうという気になるんです。写真を撮ることが、一歩踏み込む口実になる。これは何かをやってみるきっかけになります。僕の場合は、海外に出るようになりましたし、面白いものにさらに近寄っていくきっかけにもなりました。カメラが色々なところに連れて行ってくれたんです。
──10代の時に、大きな目覚めがあったんですね。
目覚めというより、10代の頃はただ無茶苦茶で、何かを壊したいという衝動も強かった。でもここから作品を作ることに話をつなげるなら、この破壊衝動という自分のエネルギーを、表現として美学的な形でいかに昇華するかを考えるのが重要ですね。ちゃんと昇華できると、作品としても成り立つんです。
絵画と写真、あらゆる構造を崩す美しさ
──作品で言えば、山田さんは写真家の森山大道さんに影響を受けていらっしゃいますね。
それは森山さんの作品と出会う前から話をしないと。25歳くらいの時に、ちょうど撮影のために行っていたインドから帰ってきて、すごく強烈なものが自分の体の中に溜まっていたんです。インドはとにかく鮮やかで、蓄積されていたショッキングな色の体験などが、多分帰国後も残っていたんです。それが発酵してきたのか、奇妙な衝動のようなものが溢れて来て、それを自分の体から吐き出してしまわなければ、心身ともに危ないと思いました。そこから絵をとにかく描くようになり、同時に写真をやめてしまい、カメラも全部売り払いました。それからしばらく抽象画を描き続けていました。ある程度作品の手法も出来上がって、個展もやっていましたが、ちょうど7年くらい経った時に行き詰まり、描けなくなったんです。自分の毒が自分の中で回ってしまったような、いわゆる自家中毒のような感じでした。その時は絵を描くこと自体が、何かを外から得て排出するという自分の中の生理的な機構になっていたのに、1年くらい描けない時期が続きました。
──機能不全のようなものでしょうか。
そう。僕の抽象画は完全に内面世界を描くので、閉じ込められている感じが強いんです。本当にしんどい時期でした。でも実はこの時期に、周りの写真家の方々からまたやってくださいと言われたり、カメラを置いていってくれたりしたことが続いたので、写真をもう一度やってみようかなと思い始めてもいました。それで写真をもう一度撮り始めたら、やっぱり面白い。でも、抽象画を描いているときと同じような閉塞感を写真にも感じてしまったんです。
そんな時に、森山大道さんの『写真よさようなら』という本に出会いました。何だこのぶっ壊れ方は!と、衝撃的でした。買って本がビリビリになるくらい読んでいると、自分が閉じ込められているものから解放されるような、何か突破口が見えた気がしたんです。それで、自分の写真を作ってやろうと思いました。なおかつ絵も描いていたから、その表現も活かすこと考えると、抽象画と写真の関係性が、内面と外面のようなものに対応すると思えたんです。写真は外からのエネルギーをキャッチし、絵は体の中から溢れ出てくるものなので、写真と絵ではエネルギーの方向が違います。この相反する構造を破壊しようとする意識が芽生えたので、それを表現したいと思いました。この構造にどう穴を空けていくか、これが最も大きな制作のモチベーションでした。具体的に画像を作るときは、自分の意識の中で絵という内面と写真という外面の関係を崩して、それらの中間のようなものを目指します。それはある意味自分の意識が壊れる状況なんですよ。そうなったときに、物理法則に任せるかのようにして溢れ出たものは、自分自身の意識に染まっていないというか、やっぱりすごく綺麗だと思います。
時空を超えた旅で出会う、無限に広がる星屑と音楽
──今回KYOTOGRAPHIEで展示する、世界最古のシャンパーニュブランドであるルイナールのシャンパーニュのカーヴと畑を訪れて滞在制作した写真も、比較的抽象度の高い作品ですね。
そうですね。今回、写真という構造から自分の意識の中で離れることができたと思います。画面をどう構成していくのか、そこを意識しました。
──フランスのシャンパーニュ地方のランスに滞在されていた際は、どのような経験と制作をされていたのですか?
ルイナールでの体験は本当に面白かったです。色々なものを見せていただきました。まずは畑。天国かと思うくらいに美しい葡萄の畑で、シャルドネの葡萄自体もまさに宝石のようでした。畑では作品の素材になる石などを拾い集めていました。今回の作品に写っている花や光や石そして葡萄は、基本的に現地にあったもので、収集から制作まで現地でさせていただきましたが、作品画像に赤と青のラインが波のように入っているのは、京都から持参した透明のフィルムが反射して生まれた模様です。このフィルムは渡航の前に、レンゴー株式会社さんから提供していただきました。プラスチック由来ではなく、セロファン(セルロースフィルム)で、土中や海中でもバクテリアによって生分解されます。ルイナールの環境への配慮を思えば、プラスチックは使えないと思って連絡したところ、ありがたいことに無償提供してくださいました。
現地で特に印象的だったのは、クレイエルというシャンパーニュを熟成させるセラー(貯蔵庫)です。ローマ時代の白亜(編集注:石灰岩)の石切場で、深さが40mほどある、地下の大聖堂のような空間でした。井戸のように石を下から掬い上げるため、構造としては上に丸い穴が空いています。この構造がとても神秘的で、教義的なものに基づいていないゆえにさまざまな物語を想像させ、同時に無限に時間をさかのぼることができる場所でした。シャンパーニュにあるローマ時代から続く石切場で掘り出されていた白亜は、白亜紀に生きた大量のプランクトンの化石でできているそうです。化石という死体の堆積物が水を含んで、今生きている葡萄や植物の養分になっている。死んでいるものと生きているものの循環が見えてきます。もはや時間感覚が麻痺してくるような不思議な状態でした。すると命の成り立ちとは何かというところまで考えが至り、太古の時代までさかのぼると、生命が生まれて、その前は地球が生まれて……。では地球が成り立つ前はどうだったのか? ビックバンによって宇宙が拡大し、その中で物質が生まれ、物質と物質がぶつかり合い、星が成り立ち、その星に夥しい種類の生命が生まれていく……。だから元はこの世界にあるもの全て「星屑」だったわけですよね。宇宙空間にあったその「星屑」が合わさって、奇跡的にこれだけの色々なものが存在しているわけでしょう? それ自体が本当に不思議ですよね。まるで交響曲というか、壮大な音楽のようなものが今現在も行われていて、これからも続いていくようです。
しかもこの「星屑」と音楽はシャンパーニュにつながります。あのキラキラした泡は「星屑」そのものです。またシャンパーニュはグラスに入れると「クチュクチュクチュ」という独特と音を奏でます。今回の作品ではこの音も録音したサウンドインスタレーションを考えています。
世界にはややこしく辛いことがいっぱいあり、今も戦争が続いています。でも本当は世界も自分自身も奇跡的で美しい。だから、色々なものが生きていることや、この世界が成り立っていることが全く当たり前のことではなく奇跡であるという意識を、これからも作品で表現していきたいですね。そういう思いで作品を作っていれば、それは作品にあらわれるし、観る人に伝わると思います。
世界が変わる、意識の排除と意識の変容
──今戦争の話がありましたが、最近の社会について思うことや、日々心がけていることがあれば教えてください。
実はKYOTOGRAPHIEのポートフォリオレビューに出す時期が、ちょうど戦争の始まった時だったんです。でも自分の作品は一見万華鏡のように綺麗なものなので、出そうかどうかかなり悩みました。あまりにも現実で起こっていることと違いすぎる。人が殺されているときに、これを出す意味があるのかと。
そんなことを思いながら、また同じ時期に中国の老荘思想の『荘子』という本を読んでいました。「斉物論」についての物語の中で、師匠のような人物が呆然として、まるで命さえ体の中にないような状態であることに、弟子が気づくんです。弟子が師匠にその理由を訊ねると、私は今、天籟(てんらい)を聞いていると答えます。籟は音の響のことで、天籟というのは、目に見えず聞こえないものだけれど、世界の成り立ちを支えており、我を失ったときに聞こえるものだそうです。この物語を読んで、この天籟のような意識が作品を通して人々に伝えられるのではないか。しかも我を失って世界と溶け合い、全てが同じもであると理解すれば、傷つけあうことはないはずだと思えたんです。
そして僕の当時手がけた作品も、自分の意思を排して、自分でないものが行き渡ることを目指したものでした。であれば、僕の作品を観た人の意識も生きとし生ける全てのものの中へスッと溶けて、繋がる意識をもたらせるかもしれない。もしそうなら、この作品をポートフォリオレビューに出す価値はあると思い、出すことにしました。
もちろん世の中の悲惨さを訴えることで啓蒙する方法も、綺麗な部分しか見せないように理想郷を表現する方法もありますが、僕はそうではなく美しさを通してもっと違う意識の持ち方もあるということを伝えたい。意識の持ち方で、僕たちは自分なりのイメージを作りながら世界を感じることができるんです。今の世の中に対する意識や認識を変えるということ。そのようなことをこれからもやっていきたいと思います。
──最後にKYOTOGRAPHIEの来場者に向けてメッセージをお願いします。
KYOTOGRAPHIEがなかったら、僕は作家に戻っていません。それくらい僕にとってはありがたいもので、毎年観客としてすごく楽しみにしていました。そして今回は参加者として関わらせていただいていますが、やっぱり楽しいですね。是非とも応援してほしいです。そしてこの応援は何よりも観て楽しんでもらうことだと思うんですよ。感動、感激してもらうこと。作品っていうのはその人の生き方を変えてしまうくらいの強さを秘めたものがありますし、KYOTOGRAPHIEはそういう作品と出会える稀有なフェスティバルだと思います。興味のあるプログラムに足を運んで、芯から感じて、考えて、感動して、楽しんでいただければと思います。どうぞご来場ください。
1973年愛媛県生まれ。大学時代に写真に出会い、世界各国を旅し撮影をおこなう。仏教への関心から、インド・ネパールへと旅をした後、突如として色彩の溢れ出すような感覚を得るようになり、絵画へ転向。その後、森山大道氏の写真集『写真よさようなら』からの強烈な衝撃を受け、絵画の系譜を踏まえた上で写真活動を再開。舞台の映像演出や、朗読・音響パフォーマンスなど、活動は多岐に渡る。2015年PARASOHIA(京都国際現代芸術祭)「やなぎみわ ステージトレーラープロジェクト」では音響・朗読のパフォーマンスで開幕を飾った。
KYOTOGRAPHIEインターナショナルポートフォリオレビューの参加者より受賞者が選ばれる「Ruinart Japan Award 2022」を受賞。