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Dennis Morris デニス・モリス

Colored Black

With the support of agnès b.

本展は、ジャマイカ系イギリス人の写真家デニス・モリスによる、1960-70年代のイーストロンドンのカリブ系移民たちの生活を追体験する展覧会です。

第二次世界大戦後の復興に必要な人材を確保するために、英国政府はコモンウェルス(英連邦)構成国の人々に英国への移住を呼びかけました。数多くのジャマイカ人が、より良い暮らしを手に入れるためにこの「招待」に応じました。カリブ海諸国から英国に渡ったこれらの人々は「ウィンドラッシュ世代」※と呼ばれています。

デニス・モリスもそうした多くの人々の一人でした。60年代、まだ少年だったモリスは母親とともにジャマイカからロンドンへやってきます。モリスは、ダルストン地区の教会の寄進者であり、聖歌隊の創設者でもあったドナルド・パターソン牧師を通じて写真と出会います。やがて自分のまわりの身近な人々や地域社会の様子をカメラで記録しはじめたモリスは、ジャマイカ人ミュージシャンのボブ・マーリーの後押しもあり、写真家として特に音楽業界で卓越したキャリアを歩んでいくことになります。
本展のモリスの写真を通じて追体験するカリブ系移民の人々の暮らしは、様々な苦難にもかかわらず、前向きで、熱意にあふれ、誇り高いものに感じられます。より良い生活を手に入れたいという彼らの強い思いが伝わってきます。

それは、カリブ系移民たちに対する呼称が、「カラード」(有色人種)から、力強く、ポジティブで、大きな影響力を持つアイデンティティとしての「ブラック」へと変化してきた時代と、モリスの写真史とがぴったりと重なっているからなのでしょう。

※移民の第一陣を乗せてきた商船「エンパイア・ウィンドラッシュ号」にちなんで名付けられた。

展示風景  ©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

展示風景 ©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

<span class="u-italic400">Boy tricycle</span><br>© Dennis Morris

Boy tricycle
© Dennis Morris

<span class="u-italic400">SOUL Sista</span><br>© Dennis Morris

SOUL Sista
© Dennis Morris

<span class="u-italic400">Count Shelly sound system</span><br>© Dennis Morris

Count Shelly sound system
© Dennis Morris

Virtual Tour バーチャルツアー

artist アーティスト

Dennis Morris デニス・モリス

Special Interview|デニス・モリス

2023年1月25日
(インタビュー:鮫島さやか 構成:田附那菜)

デニス・モリス「Colored Black」
With the support of agnès b.
世界倉庫
©︎ Takeshi Asano-KYOTOGRAPHIE 2023

人生のターニングポイント

── 写真との出会いや写真家としてのご経験についてお聞かせいただけますか?

 最初に写真に出会ったのは9歳の頃です。すっかり写真の虜になってしまいました。11歳の頃にはイギリスの主要な日刊タブロイド誌『デイリー・ミラー』に私の写真が掲載されることになりました。また、幸運にも10代の頃にボブ・マーリーに知り合い、学校を卒業後、家を出て彼について行くことにしました。その後、ボブと私はとても良い友達になり、彼が生涯を終えるまで一緒に活動しました。パンク・ロックバンドのセックス・ピストルズの写真も撮りましたね。その他には、パブリック・イメージ・リミテッドのロゴもデザインしました。さまざまなジャンルで活動しています。

── 私たち日本人には、イギリスのブラックカルチャーが歴史的に、どのように受け入れられ、発展していったのか、なかなか想像がしづらい部分もあります。今回展示されるGrowing Up Black シリーズについてお話を伺いたいのですが、この写真からどのようにブラックカルチャーを解釈すれば良いでしょうか?

 ロンドン東部のハックニーという名の地区で私は育ちました。そこは黒人が多く住む地区でした。その頃、ロンドン市内のハックニーとブリクストンという地区に多くの黒人が住んでいました。1960年末から1970年代にかけてでしょうか、私がまだ幼かった頃、私たちは「有色人種」と呼ばれていました。それが、少し大きくなった頃から「黒人」と呼ばれるようになったのです。この作品のタイトルGrowing Up Black はそのような事実に基づいています。私たちのようなコミュニティがイギリスでどのように生活していたのかを、私はこの作品を通して伝えたいと思っています。私自身は移民2世です。私たちは親世代が白人の奴隷のように扱われてきたのを目の当たりにしていたので、学校を卒業後はすぐに働きに出ました。親世代がしていたような生活をしたくなかったからです。でも、私は学校を卒業後、アーティストになりたかったので工場に働きには行きませんでした。その頃、イギリスには黒人のアーティストがほとんどいなかったので、私にとって、この決断そのものが非常にチャレンジングなことでした。

── 自分の夢を追いかけることができたのはどうしてでしょう?

 ボブ・マーリーが「デニス、自分を、自分の目標や夢を信じることができれば何でもできるんだよ」と言ってくれたんです。黒人の私にとって、この言葉はまさにその通りで、自分のことを信じられなければ、何も達成できません。私は自分を信じ続けて今、ここに到達し、それは京都での展示に向けても同じ気持ちです。

デニス・モリス 近影

ありのままの自分でいること

── 黒人の写真家としてブラック・カリビアンカルチャーの写真を撮る傍ら、白人のバンド、セックス・ピストルズやザ・ストーン・ローゼズを撮影することへのイギリス国内での反響はどうでしたか?

 セックス・ピストルズやザ・ストーン・ローズの写真を撮っていた際、自分のことを白人とともに活動する黒人という風には捉えていませんでした。自分のことをただただ一人のアーティストだと認識していたからこそ、かれらの写真を撮ることができたのです。自分のことを人種で判別したことはありません。私がアーティストであるということをかれらは受け入れてくれました。そもそも、私は自分のことを黒人として見ていないのですよ。もちろん自分が黒人だということはわかっていますし、彼らも私が黒人だということは知っています。でも、私が一人の写真家であることに変わりないのです。

── 1970年代、80年代、90年代で状況や周りの反応は変わりましたか?

 年月を経て、私が黒人であること、また私たちの文化が異なっていることを周りに認識され始めたようには感じます。最近では、その違いが寛容に受け入れられているようにも思います。
 素晴らしい音楽がブラックカルチャーにルーツを持っていたり、偉大なミュージシャンが黒人であることは事実ですよね。かれらの音楽にはいつも白人のファンがついていました。そこに、ミュージシャンが黒人であるかどうかは関係ないのです。ファンはかれらの音楽が好きなんですから。それは私の場合も同じで、私が黒人であるかどうかなんて周りの人々は気にしませんでした。かれらはただただ私の写真が好きなんです。そして私もかれらを愛しています。これは愛の交換なんですよ。

──イギリスとアメリカではブラックカルチャーの受容のされ方が異なる、ということもあるのでしょうか?

 アメリカは特例ですね。アメリカにおける人種差別、あるいはアメリカに住む人種の異なる人々は常に大きなテーマです。アメリカでのあらゆる出来事から人種という問題を切り離すことができません。アメリカは、多様性という問題を今後克服できない限り、今後もこの問題を抱え続けることになるでしょう。アメリカは素晴らしい国ですが、それを解決する必要がありますね。

Boy tricycle © Dennis Morris

No music, no life

── 音楽はモリスさんにとってとても大切な存在ですよね。KYOTOGRAPHIEは、今年初めてKYOTOPHONIEという音楽祭も開催します。モリスさんにとって音楽とは何ですか?

 音楽は私の生活の一部です。音楽なしには生きていけません。たくさんの人が音楽を通じて自らの道を探求しています。私にとってはそれがボブ・マーリーでした。彼の音楽は特別です。私はボブに出会って、彼の音楽を通して、本当の自分を発見しました。私にとって音楽は本当に大切な存在です。私自身もBasement 5というバンドの歌手でした。

── 音楽というテーマを写真にも落とし込んでいらっしゃいますよね。

 はい。KYOTOGRAPHIE では、クラブのサウンドシステムを撮影した作品も展示します。例えばCount Shelly sound systemなどです。

── Count Shelly sound systemについて詳しく教えていただけますか? 1960年代末、家を購入すると自宅の一階にサウンドシステムが設置されたことは頻繁にあったのでしょうか?

 基本的に、西インド諸島からの黒人移民の人々は、パーティを開催することでサウンドシステムにかかった費用をやりくりしていました。かれらは家の一階を空にして、そこでパーティをしてその売上でお金を稼いでいたのです。そうすることで家を購入することができていたんです。このようなパーティは「ブルース・パーティー(blues parties)」や 「シビーン(shebeen)」と呼ばれていました。

── サウンドシステムはかれらの文化の重要な役割を担っているということですね。

 そうです。非常に重要でしたね。サウンドシステムはコミュニティ形成にも大きな役割を果たしました。パーティは、自分たちの生活やその週にあった出来事などを共有し、ストレスを発散する機会でもありましたし、集まって素敵な週末を過ごす時間でもありました。当時は白人が所有するクラブやパブに黒人は入れてもらえなかったんです。だから、自宅のサウンドシステムは、自分たちの生活を豊かにするための手段だったのです。

── サウンドシステムはソーシャルな意味も持っていたのですね。

 はい、社交場のようなものです。

Count Shelly sound system © Dennis Morris

隣人を自分のように愛する

── コロナ感染症対策により、ソーシャルディスタンスが守られました。これは人々が集まるコミュニティとは反対の動きですね。 新型コロナウイルス感染症が広まってから、「ブラック・ライブズ・マター」も、再度重要なステートメントになりました。私たちは現在も変化の中にいますが、現代社会についてどう思われますか?

 新型コロナウイルス感染症が広まった後、人とのつながりは弱くなったように感じます。人々は自ら距離を取って孤立していき、かれらはまた一緒に誰かと活動することが難しいと感じているようです。3年間も距離を取って過ごしていましたからね。人が集まるということを私たちは学び直さなければならないようです。それは愛だけが可能にすると思っています。互いを愛し、尊敬し、また他の文化や生き方、思想を尊重するのです。そうすることで人はまたつながることができると考えています。

── KYOTOGRAPHIEの来場者に一言コメントをお願いします。

 日本や日本人の方々とはいつも素晴らしい時間を過ごさせていただきました。私は日本の文化や食、人など、日本の全てが大好きです。本当にそう思っています。どうぞ文化や歴史を守って、前を向いて頑張ってください。KYOTOGRAPHIEで展示できることをとても嬉しく思っています。

1960年生まれ、イギリス出身。9歳のときに写真をはじめ、11歳の時に英国の主要日刊大衆紙『デイリー・ミラー』にて作品が掲載される。レンズを通じ非凡な人物たちの真髄に迫り作品を発表している。1974年には、ボブ・マーリーの初の全英ツアーに同行。音楽シーンと密接に関わり、ボブ・マーリー、セックス・ピストルズ、マリアンヌ・フェイスフルのアルバムのカバーなど、人々の印象に深く残るアイコニックな写真作品を多数発表している。また、イギリス・サウスオールのシーク教徒のコミュニティの本質をとらえ撮影した作品群がイギリス政府のイングリッシュ・ヘリテッジに所蔵された。主な刊行物に、ボブ・マーリー写真集『A Rebel Life』、セックス・ピストルズ写真集『The Bollocks』などがある。モリスの作品は、今日美術館(北京)、ラフォーレミュジアム(東京)、アルル国際写真祭(フランス)、The Photographers' Gallery(ロンドン)、The Institute of Contemporary Arts(ロンドン)、テート・ブリテン(ロンドン)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、ロックの殿堂(アメリカ クリーブランド)など世界各国で展示されている。主な所蔵先に、テート・ブリテン、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(ロンドン)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)などがある。

curator キュレーター

Isabelle Chalard イザベル・シャラール

ロンドン、ロサンゼルスを拠点に活動しているインデペンデント・キュレーター。写真と現代中国美術を主軸とした独自のキュレーション活動を行っている。少数精鋭のアーティストや写真家とコラボレーションし、洋の東西に橋を架けている。イギリスの名門芸術大学と協働し交換留学プログラム(Red Mansion Art賞)を設立、地域特化のプロジェクト(アイ・ウェイ・ウェイ、ヤン・フードン、ツァオ・フェイらと共同でサーペンタイン・ギャラリーにてChina Power Station 展の開催など)、レジデンシーや数多の国際的な芸術展での展示(北京の今日美術館、フランスのアルル国際写真祭、第10回イスタンブール・ビエンナーレ、東京のラフォーレミュージアム等)など、様々な芸術活動を手がけている。

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